学校教育には子供を矯正してまともな社会人にする意味があるのは確かで、知識と経験の粒が揃った人材でないと未熟な現代社会は活用することができない――それでも進歩してきた方なのだろうけど。それに粒の方に社会に自分を活用させるという発想があれば結果は変わる。
 日本の学校教育は明治以来軍隊的な発想が根付きすぎているように思う。体育の授業で整列時に「ヤー」というのはドイツ語だろうし(日本陸軍は初期はフランス陸軍のちにはドイツ陸軍を参考にしている)男子学生服は軍服、女子学生服は水兵服をモデルにしている。
 つまり兵士を大量生産する方法を教育に適応してきた根があるのではないか。


 問題は兵士を生み出す方法は確立しても指揮官や指導者を生み出す方法はなおざりってことでもあるのだが、このような方法はイレギュラーを活用することがまったくできていない。
 学校教育の枠にあぶれたイレギュラーこそがいじめっこになり、いじめられっこになるのだから教育制度そのものにも問題があるし、イレギュラーゆえに彼らが持っていた枠外の性質・才能は世に出ることなく社会の闇に沈む。


 彼らこそ人材として活用できる社会でなければ、粒よりの人材が大量にあればやっていける第一次、第二次産業の時代はすぎているのだから、量だけではなく質を維持しなければ人口10倍の隣国に拮抗していくことなどできはしない。
 教育の問題は子供の問題で、子供とは国の将来なのだから、もう少し何とかできないものかな。