女子高生コンクリート詰め殺人のような異常極まりない事件において、犯行の残虐性はそれを知るだけで人に精神的ダメージを与える。自分を含む人間への信仰が揺らぐ事の恐怖を感じてしまう等の理由で――犯罪者への憎しみは被害者への同情よりも直接的な自分の被害から生まれていると思う。
 それは人々の復讐心をかきたてるが、裁判には犯行を行った事による罪は問われても、悪夢を現実にし世間に人の暗黒性を暴いた罪が同時に問われる事はない。しかしながら、時に感情的な意見は「自分が衝撃を受けた」という理由によって犯人の罪を強く追求してしまっているように思える。
 そのような「犯行」を解決できるシステムは難しいと思う――きっと裁判官が判断できるレベルを超えている――が、情報化社会によって人が大量の犯罪情報に触れ、復讐心が加熱していくのは止めようがないのではないか。